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スリランカは、インド半島の南端近くの少し東に浮かぶ島国です。
国名はシンハラ語で2語になっていますが、最初の「スリ」は「聖なる」という意味で、後ろの「ランカ」は昔からこの島を表す名前です。
英語では、この島の名前として「セイロン島 (Ceylon Island)」と呼んでいて、イギリス統治時代から独立後の1972年まで、正式国名も「セイロン」でした。
紀元前5世紀にインドから移住してきて王国を作ったのが最初で、その都がアヌラーダプラです。
この民族がシンハラ人の祖先です。
以後、インドからはタミル人も移住してきて、現在の民族混合国家のベースとなりました。
島国ゆえの自然の砦のためか、この王国は10世紀ごろまで安泰でしたが、1017年には南インドからチョーラ朝が侵入、14世紀ごろからはいくつかの小さな王国に分かれていました。
大航海時代を迎えて、16世紀初めからはポルトガルによって植民地化され、17世紀はオランダ、18世紀はイギリスと、ヨーロッパ列強の争奪戦に翻弄されました。
1802年に完全にイギリス領有となり、独立したのは第二次大戦後の1948年です。
シンハラ人とタミル人の対立は古くからあったのですが、さらに少数のムーア人もからんで、1983年に大規模な暴動が起こり、以後26年にわたる内戦状態となりました。
内戦が終結したのが、2009年5月です。
現在は観光業も復活して、急速な経済成長をしている最中です。
なお2004年のインドネシアのスマトラ沖地震による大津波は、インド洋を横断してスリランカを直撃し、沿岸部で3万人もの死者を出しました。
島は丸っこい三角形で、広さは北海道よりもいくらか小さい程度で、北部が平坦で、南部は1000m程度の高原地帯と2000m級の山岳地帯が広がっています。
長い歴史の中でいくつもの王国が興亡したため、いくつもの王都の遺跡が残っていて、大きな観光資源となっています。
スリランカは非常な親日の国です。
第二次世界大戦の処理のため、1951年に行われたサンフランシスコ講和会議において、戦勝国のソ連が日本を分断統治する案と、独立させるアメリカ案で激しく対立していたところ、セイロンの外務大臣ジャヤワルダナが日本独立を支持する名演説を行って一挙に会議が動いたということがありました。
現在の日本があるのもこの演説があったからともいえ、スリランカはまさに日本の恩人です。(ジャヤワルダナ氏は後に大統領になっています。)
日本からスリランカへは、成田空港からの中心都市コロンボへの直行便があります。
所要時間は、10時間弱です。
なおスリランカの首都は、1985年にコロンボから遷都された近郊のスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテで、長い名前のため「コッテ」と略されることが多いです。
面積: 6.6万ku(北海道の80%)
人口: 2027万人(2012年)
人種: シンハラ人(75%)、タミル人(15%)、ムーア人(9%)
言語: シンハラ語、タミル語
宗教: 仏教(7割)、その他ヒンズー教、イスラム教、キリスト教
年間を通じて平地は高温、高地は温暖です。
モンスーンにより、5〜9月は南西部、11〜3月は北東部が雨季となります。
日本標準時 − 3時間です。
スリランカ・ルピー(通貨コード:LKR)
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