チベット高原各地(中国の観光地 14)
チベット高原は、中国西部の南半分を占める標高3500〜5500mの高原地帯で、東西約2000km、南北約1200km、面積は中国全体の4分の1にあたります。
北に崑崙山脈、南にヒマラヤ山脈、西はカラコルム山脈という、6000m以上の標高を持つ大山脈に囲まれています。
東側の北部のふもとが甘粛省の蘭州、南部のふもとが四川省の成都にあたります。
北東部が青海省、南東部がチベット自治区(西蔵[シーツァン]自治区)で、中国語では1文字ずつを取った「青蔵高原」と呼んでいます。
気候は、全般的に年較差の少ない高山気候ですが、比較的乾燥し、標高の低い東南部は温暖です。
チベット自治区は、もともとは7世紀ごろの「吐蕃」の国に端を発し、チベット族によるチベット仏教の地でした。
中華人民共和国成立で自治区に組み込まれましたが、以後共産党政府と対立するようになり、1959年のチベット動乱で最高指導者のダライラマは亡命してしまいました。
現在も、たびたび摩擦が起こっています。
西寧(シーニン)
西寧は、青海省北東部、チベット高原の東端にある標高2250mの青海省の省都です。
蘭州の西北西200kmに位置し、厳寒も酷暑もない高原気候で、天然の避暑地となっています。
チベット族やイスラム系民族が多い地域です。
- 東関清真寺(トンクアン・チンジェンスー)
- 市街の中心部にある、明代の14世紀後半に創建されたイスラム寺院です。
青海省最大の規模で、礼拝堂には5千人を収容できます。
- 北禅寺(ベイチャンスー)
- 市街の北、土楼山の中腹にある石窟寺院です。
岩肌にへばりつくように建てられ、27の石窟があり、3〜5世紀の魏や晋の時代の壁画が残されています。
現在は道教の寺となっています。
- 塔爾寺(タールスー)
- 西寧の南西30km、湟中(フアンチョン)にある1560年創建のチベット仏教ゲルク派の寺院です。
14世紀のゲルク派の創始者・ツォンカパを記念して建てられ、大金瓦寺、小金瓦寺、大経堂など多くの建物から成っています。
- 青海湖(チンハイフー)
- 西寧の西150kmにある中国最大の塩水湖で、広さは約4500kuで琵琶湖の7倍近くあります。
海抜3200mにあり、東の日月峠が中国とチベットの分水嶺になっています。
周辺は草原が広がり、夏になると花が咲き乱れます。
拉薩(ラサ)
拉薩(ラサ)は、平均海抜4000mの西蔵(チベット)自治区の南部にある町です。
7世紀の吐蕃国の都で、現在もチベット自治区の中心地です。標高は3650mで、紺碧の空から強い日差しが照りつけます。
チベット仏教の中心地でもあり、町の名もチベット語で「聖地」を意味します。
- 大昭寺(ダージャオスー)【世界遺産】
- 市街の中心部にある、647年創建のチベット最古の寺で「ジョカン寺」とも呼ばれます。
チベット仏教の聖地で、多くの巡礼者が訪れます。
ソンツェン・ガンポ王が唐から文成姫を妃に迎えるため、ネパールからの先妃・ティツン妃が建てられたといわれ、持参した釈迦牟尼像が本尊です。
金瓦の屋根をもつ4つの堂が東西南北に置かれ、文化財も多く保存されています。
- 八角街(バークオジエ)
- 大昭寺を囲む巡礼環状路です。
ラサの商店街にもなっており、チベットの伝統的な建物が残され、雑貨、民芸品、骨董などの店が軒を連ねます。
チベット仏教の巡礼者ははらばいになって全身を地面につける「五体投地」という祈りや、経文の入った筒「マニ車」を回しながら念仏を唱えて、この道を右回りに進みます。
- 小昭寺(シャオジャオスー)
- 大昭寺の北西1kmにある寺で「ラモチェ寺」とも呼ばれます。
大昭寺と同時期の創建で唐から招いた建築師により中国様式だったといわれています。
たびたび火災に遭って再建され、現在はチベット様式になっています。
- ポタラ宮(布達拉宮)(プーターラーゴン)【世界遺産】
- 大昭寺の西2.5kmの市街北西部にある、壮大なチベット仏教の寺院、宮殿です。
一般にはチベット語の「ポタラ宮」という名前で知られています。
7世紀に吐蕃王朝が築いた宮殿が最初で、その遺跡に上に17世紀にダライ・ラマ5世が聖教統合強化のため50年余かけて建設したものです。
宮殿の「白宮」と寺院の「紅宮」に分かれ、全体で13階建て、高さ117mの巨大な建物です。
歴代のダライ・ラマの居城で、重要な宗教や政治の行事はここで行われました。
1959年のチベット動乱で宮殿主のダライ・ラマがインドに脱出し、それ以降は国が管理を行って、多くの貴重な文物も保存されています。
- 羅布林卡(ルオブー・リンカ)【世界遺産】
- 中国語読みで「ロブリンカ」、チベット語で「ノルブ・リンカ」と呼ばれるポタラ宮の西2.5kmにある、ダライ・ラマの夏の離宮です。
18世紀中頃にダライ・ラマ7世が造ったもので、36万uの敷地は美しい庭園になっており、宮殿の棟が点在します。
1959年のチベット動乱の際に、ダライ・ラマ14世はここからインドへ亡命しています。
- 色拉寺(セラスー)
- ラサ中心部の北6kmの山麓にある寺です。
1419年にチベット仏教ゲルク派の創始者ツォンカパと弟子により創建されました。
本堂の他、いくつもの建物があり、僧房もあります。
仏教の大学でもあり、多くの高僧を輩出しており、明治から大正時代に河口慧海と多田等観の2人が日本人であることを隠してここで修行しています。
ゲルク派三大寺院のひとつです。
- 哲蚌寺(ツェーベンスー)
- 「デプン寺」とも呼ばれる、ラサ中心部の北西9kmにある寺です。
1416年にツォンカパと弟子が創建し、ゲルク派三大寺院の中で最大規模を誇り、色拉寺と並ぶ学問寺として多くの僧が学びました。
17世紀以後多くのモンゴル留学生を受け入れており、一方で太平洋戦争末期には日本のスパイ西川一三が中国辺境地域の情報収集のため、モンゴル人になりすましてここで修行をしています。
- 甘丹寺(ガンダンスー)
- ラサ東40kmにあるゲルク三大寺院のひとつで、1409年にツォンカパが創建しました。
ツォンカパの没した寺であり、遺骨を納めた銀の霊塔があります。
1959年に解放軍の侵攻で大きく破壊されましたが修復がされつつあります。
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