中国東北部(中国の観光地 9)
中国の東北部は、遼寧、吉林、黒龍江という3省があり、かつて満州とよばれた地域です。
ここは、17世紀に中国最後の王朝である清を成立させた太祖ヌルハチが最初の支配していた地域です。
また、1931年の満州事変によって日本が関東軍が傀儡国家として「満州国」をこの地域に建国しています。
そのため、清の時代の遺物や、満州国時代の史跡が点在しています。
この地域は温帯から冷帯に移行する地域で、夏は暑いですが冬は冷え込み、北に行くほど寒さが厳しくなります。
大連 (ターリエン)
大連は、遼東半島の南端近くにある人口600万人の港湾都市です。
1898年からロシアの租借地となって発展が始まり、日露戦争後の1905年からは日本の占領地となりました。
街並みはロシアや日本占領時代の建物が多く残り、アカシア並木などもあって清潔感が漂っています。
町は北に大連湾、南に黄海を臨む半島上に中心部があり、周りの海岸線は風光明媚な景色が続いています。
- 中山広場(チョンシャン・クアンチャン)
- 市内の中心部にある、中国では珍しい10本の大通りが放射状に延びる円形の広場です。
帝政ロシア時代にパリのエトワール広場を模して造られたといわれています。
周辺には日本統治時代の建物があり、夜はライトアップされます。
- 日本統治時代の建物
- 大連には日本統治時代の建造物が多く残っています。
中山広場付近には、「中国工商銀行」(旧大連市役所)、「大連賓館」(旧大和ホテル)、「大連鉄路局分室」(旧満鉄本社)、「大連鉄路病院」(旧満鉄大連病院)などがあります。
大連駅北東の鉄道にかかる橋は「勝利橋」(旧日本橋)で、その他市内には「図書館」(旧西本願寺)、「大連京劇団」(旧東本願寺)などがあります。
- 天津街(ティエンジンジエ)
- 中山広場の北から大連駅の南へ、ほぼ東西に走る大連一の繁華街です。
百貨店をはじめ、飲食店などが集まっています。かつては露店も出ていた庶民的な通りです。
- 労働公園(ラオトン・ゴンユアン)
- 中山広場の南西2kmにある市民の憩いの場となっている公園です。
観覧車やジェットコースターなどもあり、大きなサッカーボールの形をした建物「建築芸術館」が目を引きます。
毎年5月末に行われる「アカシア祭り」のメイン会場になります。
- テレビ塔
- 労働公園の南の山の頂上に建つ塔で、正式名称は「大連広幡電視塔」です。
塔の高さは190mですが、山の高さを含めると頂上の標高は360mになります。
労働公園からロープウェーで山に登り、そこから塔に上がることができます。
標高285mのところに展望台があります。
- ロシア街
- 中山広場の北西1km、「勝利橋」を渡った先にあるかつてロシア人が住んでいた地区です。
正式名称は「俄羅斯風情一条街」です。
入り口には1902年建造の美しい洋館があり「大連芸術展覧館」となっています。
街は当時の面影を残しながらレストラン街などの開発が進められています。
- 星海公園(シンハイ・ゴンユエン)
- 市街地の南西5km、黄海に臨む臨海公園です。
夏は海水浴場として賑わい、遊覧船も出ています。
付近には海中トンネルのある水族館「聖亜海洋世界」や、海洋動物や恐竜を展示する「大連自然博物館」、珍しい貝殻を展示する「大連貝殻博物館」などのスポットがあります。
- 老虎灘公園(ラオフータン・ゴンユエン)
- 市街地の南東7km、半島南東部の老虎灘湾にある臨海公園です。
岩場の多い海岸で、全長36mの虎の彫像が名物になっており、1990年には水族館や遊園地などの施設が整備されました。
海上ロープウェーで移動ができ、遊覧船も出ます。
また公園の西に、1987年に北九州市との友好都市締結を記念して造られたコンクリート橋「北大橋」があります。
- 203高地
- 大連市街の西40km、旅順(ルーシュン)地区にある山で、1904年に乃木大将率いる日本軍が1万人の犠牲を出しながらロシアから奪取した軍事要衝の地です。
ここから旅順港のロシア艦隊を攻撃して全滅させ、日露戦争に勝利しました。
高さが203mあるためこのように呼ばれ、山頂には砲弾を溶かして造った慰霊碑「爾霊山(にれいさん=203をもじって乃木大将が命名)」があります。
またこの東方に、乃木大将とロシア司令官ステッセルが戦争終結の会見をした「水師営会見所」があります。
なお、旅順地域は1996年にようやく対外開放されたところで、上記の観光スポット以外は立ち入りができません。
個人での観光も、ホテルや現地旅行会社を通したほうがトラブルが避けられるということです。
瀋陽(シェンヤン)
瀋陽は、大連の北西370km、遼寧省中央部にある省都で、人口480万人の重工業都市です。
17世紀に満州族のヌルハチが清朝を興した地であり、1931年には北東郊の柳条湖で関東軍が満州事変を起こした地でもあります。
古くから市名を「奉天」と名乗っていましたが、戦後に「瀋陽」に変えています。
- 瀋陽故宮(シェンヤン・クークオン)【世界遺産】
- 市の中心部にある1636年完成の清朝の王宮です。
太祖ヌルハチと2代皇帝ホンタイジが1625年に建設したもので、6万uの広さを持ちます。
入り口近くの八角2層でモンゴル風の「大政殿」や「崇政殿」、「鳳凰楼」をはじめ70以上の建物が建ち並び、部屋数は300にのぼります。
敷地全体は「瀋陽故宮博物館」として公開されています。
- 北陵公園(ベイリン・ゴンユエン)【世界遺産】
- 市の北部にある2代皇帝ホンタイジの墓陵で、「昭陵(チャオリン)」とも呼ばれます。
1651年の完成で、広さ18万uの平地に壁をめぐらし、いくつもの建物が建てられています。
現在は庭園を広げ、楼閣なども増設して公園として公開されています。
- 張氏帥府(チェンシー・シュイフー)
- 瀋陽故宮の南にある、20世紀前半の奉天軍閥の首領、張作霖と息子の張学良の私邸だった建物です。
1914年に建てられ、中国様式と西洋様式の混じった執務をとった建物「大青楼」をはじめ建物がいくつも残っています。
張作霖は1929年に日本の関東軍に列車ごと爆殺され、張学良も1931年に追われ、関東軍が接収して満州国時代は図書館として使われました。
- 九一八歴史博物館
- 瀋陽駅の北東7km、柳条湖付近で満州事変のきっかけとなった1931年9月18日の南満州鉄道爆破事件の現場付近にある記念館です。
カレンダーを模した石碑が入り口にあり、建物の中は事変の背景や抗日闘争の写真、パネルなどがあります。
中国にとって日本の侵略が決定的となった「国恥の日」は決して忘れられない日となっています。
なお1997年9月に、戦後の日本の首相として初めて橋本龍太郎首相がここを訪れています。
- 東陵(トンリン)【世界遺産】
- 市の北東10kmにある、清の太祖ヌルハチと皇后の陵墓です。
1629年から1651年にかけて造られ、広さは19万u余あります。
周囲に壁がめぐらされて内部にいくつも建物があり、ヌルハチが葬られている建物は「月牙城」と呼ばれます。
現在は周辺は公園として一般公開しています。
長春(チャンチュン)
長春は、瀋陽の北東280km、吉林省中央部の町で省都です。市街地人口は270万人で、自動車生産や映画制作で知られています。
1932年に日本の関東軍が建設した「満州国」の首都としたところで、市の名前は「新京」とされました。
「北国春城」と呼ばれ、緑の多い北国の街です。
- 偽満州国皇宮(ウェイ・マンチョウクオ・フアンゴン)
- 市街の北西にある、満州国皇帝にされた清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀の宮殿跡です。
溥儀の住居だった「緝熙楼」、政務を行った「勤民楼」などの建物が残り、内部も公開されています。
- 長春電影宮(チャンチュン・ディエンインゴン)
- 市街の南西部にある1946年からの歴史がある中国最古の映画撮影所です。
これまでに中国を代表する映画が700本以上撮られています。
オープンセットなど見学ができ、博物館もあります。
哈爾浜(ハルビン)
哈爾浜(ハルビン)は、長春の北北東220km、黒龍江省南部の人口350万人の省都です。
松花江(ソンフアジアン、別名スンガリー川)が市街の北を流れ、冬は長く氷雪に覆われて「氷城」と言われます。
金朝や清朝の発祥地域ですが、町としては19世紀末からの帝政ロシアの南下政策で鉄道を敷設してから発展しました。
- 中央大街(チョンヤンタージエ)
- 市街の北部、ハルビン駅の北方から松花江河畔まで約1.4kmの通りで、かつては「キタイスカヤ通り」と呼ばれました。
1924年にロシア人技術者によって造られた石畳が特徴で、沿道には欧風の建物が並んでいます。
ハルビン随一の繁華街で、ホテル、レストラン、商店が集まっています。
- 聖ソフィア教会(聖索菲亜教堂 / シェン・スオフェイヤ・ジャオタン)
- 中央大街の東にあるビザンチン様式のロシア正教の教会です。
高さは53mあり、1907年にロシア兵士の軍用教会として建てられ、1932年に木造からレンガ造りに建て直されました。
現在はハルビン建築芸術館として市内の建築物の写真や模型、絵画などを展示しています。
- 兆麟公園(チャオリン・ゴンユエン)
- 中央大街の東にある公園で、抗日戦争の英雄・李兆麟が祀られています。
毎年1月5日から開かれる「氷雪節(氷祭り)」の会場として有名です。
- スターリン公園(斯大林公園 / スーダーリン・ゴンユエン)
- 市内北東部の松花江南岸に沿って造られた長さ2km、幅50mの公園です。
1953年に洪水対策で市民が堤防工事を行った際に造られたもので、園内に1957年の大洪水の後に建てられた「防洪記念塔」があります。
- 太陽島公園(タイヤンタオ・ゴンユエン)
- スターリン公園の松花江対岸にある広大な公園です。
かつてはロシア人の別荘が並んでいた避暑地で、園内は草花や樹木で整備され、中国やロシアの建造物が点在します。
新潟市との友好記念で造られた日本庭園もあります。
スターリン公園からフェリー、またはロープウェイで行くことができます。
- 極楽寺(ジーレースー)
- 市街の北東部にある1924年創建の禅宗の寺で、中国東北部の四大仏教寺院に数えられます。
比較的新しい寺ですが、中国の伝統的な寺院建築を見ることができます。
- 731部隊罪証陳列館(チーサンヤオブートゥイ・ズイチェン・チェンリエクアン)
- 市街の南20kmにある、日本の関東軍731部隊の本部の建物を展示館にしたものです。
大戦末期に「731部隊」と呼ばれる細菌兵器開発部隊が、捕らえた3千人もの中国人やロシア人などをここで生体実験を行って虐殺したものです。
実験の資料や実験器具などが展示されています。
中国の観光地