西域、タクラマカン砂漠周辺(中国の観光地 13)
敦煌から西は、古代は「西域」と呼んで中国支配の外の世界でした。
北側に天山山脈、南側に崑崙山脈、西はパミール高原、カラコルム山脈が続き、東西1000km、南北500kmに及ぶ広大なタリム盆地には、黄土に覆われたタクラマカン砂漠が延々と広がっています。
この過酷な地理条件の中で、シルクロードは3つのルートが設定されていました。
天山山脈の北側を通る草原の道「天山北路」、南麓でタクラマカン砂漠の北側を通る「天山南路」、そしてタクラマカン砂漠の南辺で崑崙山脈のふもとを通る「西域南道」です。
周囲の山麓には、雪解け水で潤うオアシスの町が点在します。
これら全域が新疆ウイグル自治区(新疆維吾爾自治区)となっています。「東トルキスタン」と呼ぶこともあります。
人種的にも、ウイグル族をはじめ3分の2が中央アジア系で、まさに西域のムードが漂っています。
なお、天山山脈は世界自然遺産に登録されています。
吐魯番(トルファン)
吐魯番(トルファン)は、新疆ウイグル自治区の東部、敦煌の北西700kmにあるオアシス都市です。
西に天山山脈を望む盆地にあり、標高は死海に次ぐ世界2番目の低さのマイナス154m、乾燥して寒暖の差が強烈な地です。
古来からシルクロードの天山北路と南路の分岐点として賑わい、モスクやバザールが多いイスラム色の漂う町です。
名物に乾燥気候を利用した干しブドウがあります。
- 蘇公塔(スーゴンター)
- 市の東2kmにあるイスラム様式の尖塔です。
トルファン郡王の蘇来満が、当地の反乱を鎮めて清朝の信頼を得た父・額敏を記念して1779年に建てたものです。
高さ44mで、塔の下には教堂もあります。
- 火焔山(フオヤンシャン)
- 吐魯番の東方、盆地の中央部に東西100km、南北10kmで横たわる岩山で高さは500mほどです。
褶曲により山肌にひだが入り、太陽の光が当たると赤く炎のように見えることから名がついています。
- 葡萄溝(プータオコウ)
- 市の北東10km、火焔山西麓の谷にあるブドウ農園です。
長さ9km、幅1kmにわたってブドウが栽培され、その場で食べることもできます。
民族舞踊などのショーも行われる観光農園となっています。
- 高昌故城(カオチャン・クーチェン)
- 市の東40km、火焔山南麓にある5〜7世紀頃に栄えたウイグル族・高昌国の城塞都市遺跡です。
1.5km四方の正方形に近い敷地に日干しレンガ造りの王城や寺院などが残っていますが、風化によって廃墟のようになっています。
玄奘三蔵がインドに向かう際に招かれましたが、インドからの帰りに立ち寄った時はすでに滅ぼされた後だったといわれています。
- アスターナ古墳
- 高昌故城の北西4kmにある高昌国の古墳群で、500ほどの漢族の豪族の墓があります。
遺体はミイラとなっており、副葬品として絹織物や文書、陶器、壁画などが出土しています。
- ベゼクリク千仏洞
- 市の北東50km、火焔山北麓にある6〜14世紀に彫られた石窟寺院です。
断崖に400mにわたって64窟ありますが破壊や侵食で傷みが激しく、見学できるのはわずかです。
当時はウイグル人は仏教を信奉して石窟を造りましたが、15世紀頃にはイスラム化したといわれています。
- 交河故城(ジャオホー・クーチェン)
- 市の西10km、2本の河が交わる地にある城塞都市跡です。
漢代から騎馬民族の車師人の住むところで、5世紀の滅亡後は高昌故城の副都となりました。
現存する遺構は唐代以後のもので、東西1km、南北300mの敷地に土造りの寺院や住居跡が残っています。
烏魯木斉(ウルムチ)
烏魯木斉(ウルムチ)は、トルファンの北西200km、ウイグル族はじめ12の少数民族が住む区都です。モンゴル語で「美しい牧場」の意で、周辺は草原が広がり牧畜も盛んです。
南に天山山脈が走るシルクロード・天山北路の中心地で、東西南北どの海からも2300km以上離れた「海から最も遠い町」です。
市内のあちこちにバザールがあり、民芸品や香辛料、羊肉などが並べられ、西域情緒たっぷりです。
- 紅山公園(ホンシャン・ゴンユアン)
- 市の中心にある高さ60mほどの山で、岩肌が赤いため「紅山」と呼ばれます。
頂上には9層の楼閣「鎮龍塔」が建っており、頂上から市街が見渡せます。
- 新疆維吾爾自治区博物館(シンジアン・ウェイウル・ジーチーチュー・ボーウークアン)
- 紅山公園の北西にある自治区内最大の博物館です。
イスラムのモスク風の建物で、古代シルクロード各地で出土した文物や、民族の生活文化に関する展示がされています。
各地で出土したミイラは10体ほどあり、1980年に楼蘭で見つかった3000年前の女性のミイラが最大の見ものです。
- 南山(ナンシャン)牧場
- 市街の南70km、天山山脈の麓に広がる牧場で、避暑地にもなっています。
カザフ族が住む地域で、競馬や羊奪いなどの民族伝統競技などを見ることができます。
天山の雪解け水が落ちる高さ40mの滝がある渓谷「西白楊溝」も見所の一つです。
- 天池(ティエンチー)
- 市街の北東110km、標高1980mの高原にある美しい湖です。
周囲11kmの湖で、万年雪を頂く標高5445mのボゴダ山を望みます。
湖畔にはカザフ族の遊牧民がパオ(包)で暮らし、観光用の乗馬勧誘も行っています。湖は遊覧船が出ています。
タリム盆地各地
- 楼蘭(ロウラン)
- 敦煌の西600km、タリム盆地の東端にあるかつてのオアシス国家の遺跡です。
建国の時期は不明で、紀元前2世紀には匈奴の支配下にありました。
以後前漢や北魏などの支配を受けましたが、7世紀以降は史書から姿を消し、1900年のスウェーデンの探検家ヘディンの発見で再び姿を現しました。
砂漠の中に330m四方の城壁、仏塔、住居跡などが残ります。周辺には烽火台や古墳群も残っています。
3000年前の女性のミイラが発掘されたこともよく知られています。
また、さまよえる湖として知られる「ロブノール」は楼蘭の東にありますが、現在は完全に干上がっているということです。
観光は、敦煌やトルファンなどから片道4〜5日かけて砂漠を4WD車で走り続ける探検ツアーになります。
- 庫車(クチャ)
- トルファンの西南西700km、天山山脈南麓のウイグル族が住むオアシス都市です。
漢代から7世紀頃まで「亀茲国」があり、天山南路最大の町でした。
市街の西にはその都市遺跡「亀茲故城」があります。
また仏教遺跡も周辺に点在し、「グズルガハ千仏洞」、「クムトラ千仏洞」、「スバシ故城」、「キジル千仏洞」などがあります。
「クチャ博物館」でこれらからの出土品を見ることができます。
- ニヤ遺跡
- 庫車の南500km、タクラマカン砂漠の南部にある遺跡です。
漢代にあった西域36国のうちの「精絶国」の遺跡とされ、1901年にイギリスのスタインが発見しました。
南北25km、東西7kmの範囲に仏塔や住居、水路などが残っています。
観光は南120kmにあるの民豊(ミンフォン)の町からの探検ツアーになります。
- 和田(ホータン)
- タクラマカン砂漠の南西にある西域南道のオアシスの町です。
住民のほとんどがウイグル族で、町の文字表記もウイグル文字が主になっています。
絹織物と、川で採れる玉石が名物です。
周辺に漢代の遺跡「マリクワト故城」や「ヨートカン遺跡」などがあり、発掘された文物は「ホータン文物管理所」に展示されています。
喀什(カシュガル)
喀什(カシュガル)は、タリム盆地の最西端で、南にはパミール高原が広がり、キルギスやタジキスタン国境に近い町です。
天山南路と西域南路の合流点で、西へはタシケントヘ続くシルクロード、南へはパミール高原を越えてインドへ入る交通の要衝です。
ウイグル人の多いイスラム文化圏で、新疆最大の日曜バザールは周辺から多くの人が集まります。
- エイティガール清真寺
- 市の中心にある新疆最大のイスラム寺院です。
1426年の創建で、18世紀まで何度も拡張されました。
正面にアラビア語でコーランが書かれた高さ12mの門があり、その両側に高さ18mの尖塔が建っています。
礼拝堂は4千人が収容できます。
モスクの近くには、靴、帽子、楽器、金属製品など生活用品を作る職人の工房が集まっています。
- 香妃墓(シアンフェイムー)
- 市の東5kmにある1670年に建てられた墓廟です。
地元のイスラム指導者の地位にあったホージャー家の代々の墓廟で、一族から清の乾隆帝に妃を献上し、その妃の身体の芳香から「香妃」と呼ばれたといいます。
鉄は使わず土とレンガで建てられ、直径17m、高さ25mのドームがあります。
内部には一族72人の棺が安置されています。
中国の観光地