ドレスデンとドイツ東部(ドイツの観光地 8)
ドイツ東部は、旧東ドイツだった地域です。
かつての共産主義による計画経済の結果で劣化した社会構造からの脱皮が容易ではなく、依然として経済格差の溝は埋まっておらず、統一以降、1割以上の人口が旧西ドイツ側に流出しているということです。
ただ古代、中世からの古い町並みは残っていて、世界遺産に登録されている所も多くあります。
ドレスデン
ドレスデン (Dresden) は、ベルリンの南180km、エルベ川河畔にある人口50万人ほどの都市で、南東30kmにはチェコ国境があります。
12世紀頃からザクセン選帝侯の宮廷都市として栄えましたが、第二次大戦では徹底的な爆撃を受けて壊滅、戦後は工業都市として発展し、歴史的建造物の再建もされています。
文化、芸術活動が盛んな町でもあります。
なおドレスデン市街と周辺のエルベ川流域の町が2004年に世界遺産に登録されましたが、渓谷にかかる橋の建設が住民の意思で推進され、その結果2009年にUNESCOはこの地域を世界遺産リストから除外しました。
- ツビンガー宮殿 (Zwinger)
- エルベ川南の旧市街 (Altstadt) 中心部にある宮殿です。
フリードリヒ・アウグスト1世(強王)が1732年に建てたもので、後期バロック様式の傑作といわれます。
第二次大戦の爆撃で大きな被害を受けましたが、1963年にようやく修復が成りました。
しかし2002年のエルベ川大洪水でも水没被害を受け、数年の復旧作業により現在は復興しています。
金塗りの王冠を頂く門がシンボルで、マイセン磁器で造られた鐘もあります。
内部は以下を含めて5つの博物館・美術館があります。
古典巨匠絵画館(アルテ・マイスター)(Gemäldegalerie Alte Meister) = ラファエロの名作「システィーナのマドンナ」をはじめ、イタリア・ルネサンスなどヨーロッパ中世の作品を収蔵するドイツ屈指の美術館です。
陶磁器博物館 (Porzellansammlung) = アウグスト強王の収集した陶磁器を展示しています。マイセン磁器をはじめ、中国、日本の磁器もあります。
武器博物館 (Rüstkammer Museum) = 豪華な装飾のある中世の鎧、刀、銃などを展示しています。
- レジデンツ宮殿 (Residenzschloss)
- ツビンガー宮殿の東向かいにある宮殿です。1530年にゲオルク1世が建造したもので、市内で最も高い100mの塔があります。
内部にはアウグスト強王と息子のアウグスト2世が収集した財宝を展示する「緑の丸天井 (Grünes Gewölbe)」が公開されています。
宮殿北東部のシュタルホーフと呼ばれる建物の外壁には、1870〜76年に画家バルターが描き、後に2万5千枚のマイセン磁器タイルに転写された「君主の行列 (Fürstenzug)」の壁画があります。
歴代王の乗馬行進を約100mにわたって描いており、第二次大戦の爆撃では破壊を免れたものです。
- ゼンパーオーパー (Semperoper)
- ツビンガー宮殿の北隣にあるルネサンス様式のオペラ劇場です。
1841年に開場、幾度か再建されて現在の建物は1985年のものです。
開場後にワーグナー自身の指揮で歌劇「さまよえるオランダ人」(1843) や「タンホイザー」(1845) の初演をここで行っています。
現在もオペラやバレエの公演が行われ、内部のガイドツアーもあります。
- ブリュールのテラス (Brühlsche Terrasse)
- ツビンガー宮殿の北、エルベ川の南岸沿いに約1km続く遊歩道です。
16世紀に造られた要塞の一部を、ブリュール男爵が1740年に庭園に改造し、1814年に市民に開放したものです。
周辺の街並みの景観や、随所にある美しい彫像などから、ゲーテが「ヨーロッパ一のバルコニー」と称しています。
- フラウエン教会 (Frauenkirche)
- レジデンツ宮殿の東にある教会で、日本名「聖母教会」です。
1743年に完成したバロック様式のプロテスタント教会で、中央ドームは石造建築物の傑作といわれました。
1945年の連合軍の空襲で全壊し、東ドイツ時代は瓦礫の山が記念碑として残されました。
統一後に浄財による再建が始まり、瓦礫からの復元作業は「世界最大のパズル」といわれましたが、2005年10月に再建がなりました。
- アルベルティヌム (Albertinum)
- フラウエン教会の東にあるルネサンス様式の建物で、16世紀に武器庫として建てられ、1884年に博物館に改造されたものです。
ゴッホ、モネや印象派などの作品を展示する「新巨匠美術館 (Gemäldegalerie Neue Meister)」があります。
ドレスデン近郊
- ピルニッツ宮殿 (Schloss Pillnitz)
- 旧市街の東南東10km、エルベ川北岸に建つバロック様式の宮殿です。
1717年にアウグスト強王が建てた夏の離宮で、王はゴンドラでエルベ川から上陸したといわれます。周囲に美しい庭園や池が配されています。
ブリュールのテラスから遊覧船での見学ができます。
- モーリッツブルク城 (Schloss Moritzburg)
- 旧市街の北北西15km、モーリッツブルクの町の北郊にある城です。
16世紀にモーリッツ・フォン・ザクセン侯が狩猟の館として建てたもので、湖の中島にあります。
現在は博物館として、鹿のはく製や、狩猟道具などを展示しています
- マイセン (Meißen)
- ドレスデンの北西25km、エルベ川の西岸にある町です。18世紀の初めにヨーロッパで初の白磁が作られて以来、陶磁器の町となりました。
市街の南西に「国立マイセン磁器工房 (Staatliche Porzellan-Manufaktur Meißen)」があり、製造工程の見学の他、3千点のマイセン磁器の展示を見学できます。
また市街の北には、15世紀創建で最初にマイセン磁器工房が置かれた「アルブレヒツブルク城
(Albrechtsburg)」や13〜15世紀に建てられたゴシック様式の「大聖堂 (Dom)」などのスポットがあります。
- ザクセン・スイス国立公園 (Nationalpark-Sächsische Schweiz)
- ドレスデン南東40km、チェコ国境付近のエルベ川が造る渓谷地帯です。
砂岩が川に浸食されて断崖絶壁や岩山が続き、ドイツでは珍しい荒々しい景観で「ザクセンのスイス」の名が付いています。
渓谷にかかる石橋からの眺望が素晴しい「バスタイ (Bastei)」、高さ240mの崖上にある13世紀の城塞「ケーニッヒシュタイン要塞 (Festung Königstein)」などが観光スポットです。
ライプチヒ
ライプチヒ (Leipzig) は、ドレスデンの西北西100kmにある人口50万人の町です。
古くから交易の街として栄え、15世紀にはライプチヒ大学が設置され、見本市開催や出版も盛んになりました。
また音楽の街で、中世からの教会音楽をリードし、歌劇場の専属でない最古の独立オーケストラがあります。
ゲーテやニーチェ、バッハやメンデルスゾーンなど多くの文化人が活躍した地で、日本の森鴎外や滝廉太郎もここに留学しています。
- 旧市庁舎 (Altes Rathaus)
- 旧市街の中心にあるマルクト広場 (Markt) に面して建つ建物です。
1556年に当時の市長がわずか9ヶ月で建てさせたもので、ドイツで最も美しいルネサンス様式の建物といわれます。
第二次大戦で破壊され、再建されました。内部は歴史博物館になっています。
- トーマス教会 (Thomaskirche)
- マルクト広場の南西にある教会です。1212年に修道院として建てられ、以後何度も改造されています。
大作曲家バッハが1723年から亡くなるまで27年間を音楽監督として過ごした教会として有名で、ここで多くの作品も生まれています。
バッハの墓もあり、毎週金曜の18時と土曜の15時には教会の少年合唱団によるコンサートが開かれます。
- バッハ博物館 (Bach-Museum Leipzig)
- トーマス教会の南向かいにある、バッハに関する資料を展示した博物館です。
建物はバッハの友人だった大商人ボーゼ氏の館だったところで、バッハ自筆の楽譜や当時の楽器が展示されています。
- ニコライ教会 (Nikolaikirche)
- マルクト広場の東にあるロマネスク様式の教会です。
1165年の創建はライプチヒでは最古で、16世紀にゴシック様式に改造され、規模も市内では最大です。バッハはここでも演奏活動を行っていました。
また1982年からここで行われた「月曜祈祷集会」が、1989年の東ドイツ民主化のきっかけになりました。
旧東ドイツ南部各地
- ワイマール (Weimar)【世界遺産】
- ライプチヒの南西80kmにある人口6万人余の町です。13世紀に建設され、ワイマール公国時代の1775年にゲーテが大臣として招かれた歴史があります。
ゲーテ、シラーなどにより当時のドイツ古典主義文化が花開いた地で、作曲家のバッハ、リストなど多くの文化人が集まりました。
関連の建造物が多く残る町全体が世界遺産に登録されています。
第一次大戦後の1919年に民主憲法の制定会議が行われ、ゲーテとシラーの像が建つ「国民劇場 (Deutsches Nationaltheater)」、「ゲーテの家 (Goethes Wohnhaus)」、「シラーの家 (Schillers Wohnhaus)」、「ワイマール公の城 (Wittumspalais)」、20世紀初めに設立の美術学校で、ナチスに閉鎖された「バウハウス (Bauhaus)」の関連施設などたくさんのスポットがあります。
- エアフルト (Erfurt)
- ワイマールの西20kmにある人口20万人のテューリンゲン州の州都です。
9世紀にカール大帝にスラブとの交易地になって栄えた地です。
旧市街には多くの教会が建てられ、現在も中世の雰囲気が残っています。1808年にナポレオンが宰相ゲーテに町の美しさを称賛したといわれます。
旧市街の中心の広場「フィッシュマルクト (Fischmarkt)」とそこに面する「市庁舎 (Rathaus)」、高台にある町のシンボル「聖マリア大聖堂 (Dom St.Maria)」と「セベリ教会 (Severikirche)」、12世紀に造られた木組みの家屋が上に並ぶ石橋「クレーマー橋 (Krämerbrücke)」などが見所です。
なお15世紀からの伝統をもつテューリンゲン・ソーセージが名物です。
- アイゼナッハ (Eisenach)
- エアフルトの西50kmにある人口5万人ほどのテューリンゲンの森に囲まれた町です。
11世紀頃からの古い歴史を持ち、「バルトブルク城」がその象徴として残っています。
東ドイツ時代は自動車の生産地でもありました。
作曲家バッハの生地で、その近くにある博物館「バッハハウス (Bachhaus)」、神学者ルターが少年時代に過ごした木組みの家「ルターハウス (Lutherhaus)」などのスポットがあります。
- ワルトブルク城 (Wartburg)【世界遺産】
- アイゼナッハ市街の南郊の丘にある城です。
11世紀にルートビッヒ王が建設したといわれ、中世の詩作や騎士の恋愛歌(ミンネサング)の歌合戦の中心地となり、ルターが新約聖書を翻訳した場所です。
これらにゆかりのある部屋がいくつもあり、ガイドツアーで見学ができます。
- デッサウのバウハウス (Bauhaus Dessau)【世界遺産】
- ライプチヒの北60km、人口9万人の町デッサウにある、現代デザインのさきがけとなった美術学校です。
1919年にワイマールでワルター・クロピウスが設立し、この地に1925年に移転したものです。
合理主義の傾向を持ち、画家のクレーやカンディンスキーも教鞭を取っています。
1932年にベルリンに移転し、1933年にナチスに閉鎖されました。校舎の他、クロピウスや教授陣が住んだ「マイスターハウス (Meisterhaus)」があります。
- ベルリッツ庭園王国 (Gartenrich Dessau-Wörlitz)【世界遺産】
- デッサウの東15kmにある広大な庭園です。
湖が点在し、古くからデッサウの領主の狩猟の場だった地で、18世紀にフランツ侯が庭園と別荘を築いたものです。
以後50年にわたって造園が続けられ、小国だったデッサウが庭園国家として知られるようになりました。
すべてを巡るのは数日かかるといわれ、45分のカヌーによる見学ツアーが便利です。
- ヴィッテンベルク (Wittenberg)【世界遺産】
- デッサウの東30km、エルベ川北岸にある人口5万人の町です。
12世紀頃には町として成立し、15世紀にフリードリヒ大公が居城を置いた地です。
1517年にマルティン・ルターがカトリックの方針に対抗して出した「95か条の論題」により、宗教改革のきっかけとなったことで知られます。
その論題が貼られた「城教会 (Schlosskirche)」をはじめ、ルターなど当時活躍した人物ゆかりのスポットが多数あります。
19世紀に街並みが復元されており、町全体が世界遺産となっています。
なお、町の正式名称は「ルターの町・ヴィッテンベルク (Lutherstadt Wittenberg)」となっています。
- クベトリンブルク (Quedlinburg)【世界遺産】
- ライプチヒの北西110km、ハルツ山脈の北麓にある小さな町です。
10世紀からの歴史を持ち、旧市街は7世紀から伝統的な木組みの住居が1200棟も集まっていることで有名です。
中心は「市庁舎 (Rathaus)」の建つ「マルクト広場 (Markt)」で、南の丘にある「聖セルバティウス教会 (St.Serbatius)」や「城博物館 (Schlossmuseum)」などの見所もあります。
- ブロッケン山 (Brocken)
- クベトリンブルクの西40km、標高1142mのハルツ山脈の主峰です。
魔女が集まる伝説のある山で、また山頂では自分の影が前方の霧や雲に映る「ブロッケン現象」がよく見られるという山です。
北東麓の町ベルニゲローデ (Wernigerode)から頂上まで、蒸気機関車による登山鉄道で登ることができます。
- ゴスラー (Goslar)【世界遺産】
- クベルトリンブルクの西北西60kmにある小さな町です。
10世紀に銀山が発見されて発展し、皇帝もこの地に居を構えて神聖ローマ帝国で重要な町になりましたが、16世紀以後は衰退して小さな町になりました。
市街は16〜17世紀の木組みの家が建ち並び、中心にある「マルクト広場 (Markt)」には15世紀の「市庁舎(Rathaus)」や仕立て職人のギルドだった「カイザーボルト (Kaiserworth)」、12世紀の「マルクト教会 (Marktkirche)」があります。
また11世紀にハインリヒ3世が建てた巨大な「皇帝居城 (Kaizerpfalz)」は「帝国の間」などの見所がある大きな観光スポットです。
旧東ドイツ北部各地
- ロストック (Rostock)
- ベルリンの北北西200kmにある人口20万人の町です。
バルノ川 (Warnow) がバルト海に注ぐ15kmほど内陸にあり、13世紀のハンザ同盟都市以来東部ドイツの港湾都市として重要な役割を果たしました。
当時の繁栄を示す建物が城壁で囲まれた旧市街に多く残り、「市庁舎 (Rathaus)」、「マリエン教会 (Merienkirche)」、「聖ペトリ教会 (St.Pertikirche)」などのスポットがあります。
ドイツの観光地