ベルリン周辺(ドイツの観光地 7)
ベルリン (Berlin) は、ドイツ中東部にある人口350万人の大都市で、ドイツの首都です。
プロイセン王国時代からドイツの首都でしたが、第二次大戦後は東ドイツの首都となり、1990年の統一後再びドイツの首都となっています。
旧西ドイツの首都ボンからの首都機能移転は2001年までかかりました。
第二次大戦後に東半分をソビエト、西半分をアメリカ、イギリス、フランスが占領し、西側は西ドイツの飛び地として管理されました。
東西冷戦下で東西ベルリン間のみが往来が可能な地でしたが、東ドイツから西側への脱出が相次いだため、東独政府が1961年に東西を分断する形で築いたのが「ベルリンの壁」でした。
民主化の広がりから1989年に劇的な開放があり、有名な「ベルリンの壁」崩壊によってドイツ統一が実現しました。
なお、市街は第二次大戦で徹底的に破壊されたために、歴史的な建造物は多くありません。
現地発音は「ベアリーン」で、「リ」にアクセントを置きます。
日本風に「ベルリン」と言うとスイスの「ベルン」と受け取られることがあるようです。
またベルリンはドイツの首都ながら、日本からの直行便はありません。
フランクフルトやミュンヘンなどを経由して入ることになります。
ベルリン中心部
ブランデンブルク門周辺
- ブランデンブルク門 (Brandenburger Tor)
- ベルリンの中心部に建つ町のシンボルです。1791年に完成したプロイセン王国の凱旋門で、アテネのアクロポリスを模して造られています。
幅65m、高さ11mで、12本のドーリア式円柱で支えています。
頂上には四頭立ての戦車「ガドリガ」に乗った女神像がありますが、1806年にナポレオンが戦利品としてパリに持ち帰った歴史があります。
かつてはここがベルリンの西の端、また東西分裂時代はここが東西の境界線だった場所です。
- ウンター・デン・リンデン (Unter den Linden)
- ブランデンブルク門から東に伸びる、17世紀にプロイセン選帝侯が造った菩提樹(リンデン)の並木道です。
約1.4kmの通りで、東の端に博物館島があります。
通り沿いに「フンボルト大学 (Humboldt-Univ.)」や「国立オペラ座 (Deutsche Staatsoper)」、「ドイツ歴史博物館 (Museum für deutsche Geschichte)」などがあります。
- 連邦議会議事堂 (Reichstag)
- ブランデンブルク門の北にあるドイツの国会に当たる連邦議会の議事堂です。
1894年に完成しましたが、1933年にナチスに放火され炎上、1945年には爆撃で全壊という運命をたどりました。
ドイツ統一後に正面はオリジナルを残し、屋上にガラス張りドームを持つ建物に改修され、1999年に完成、議事堂として使われています。
ドーム部分のみ見学が可能です。
- ベルリンの壁博物館 (Haus am Checkpoint Charlie)
- ブランデンブルク門の南東1.5km、南北に走るフリードリヒ通り (Friedrichstraße) 沿いにあるベルリンの壁に関する展示を行っている博物館です。
前の通りはかつて東西ベルリンを行き来する際の検問所「チェックポイント・チャーリー (Checkpoint Charlie)」があったところです。
「ベルリンの壁」自体はすでにほとんど現存していませんが、この博物館前に残されているものの一つがあります。
- ティーアガルテン (Tiergarten)
- ブランデンブルク門の西に広がる東西3km、南北1kmの広大な公園です。
かつては貴族の狩猟場だった所で、19世紀に公園に改造されました。
中央を東西に「6月17日通り (Straße des 17.Juni)」が走っています。
- 勝利の塔 (Siegessäule)
- ブランデンブルク門の西2km、6月17日通りの中央に建つ高さ67mの塔です。
1864〜1871年のデンマーク、オーストリア、フランスとの相次ぐ戦争に勝利した記念に1873年に建てられたものです。
頂上には高さ9mは勝利の女神ビクトリアの像が立っており、高さ50mの位置に展望台があります。
- 絵画館 (Gemäldegalerie)
- ティーアガルテンの南にある巨大な美術館です。東西ベルリンに分断されていた名作絵画を一堂に集めたもので、1998年の開館です。
イタリア・ルネサンス絵画や中世のフランドル絵画を中心に常時1400点を展示しています。
博物館島の博物館群
博物館島 (Museumsinsel) は、ブランデンブルク門の東1.5km、シュプレー川 (Fluss Spree) の中洲の島で、5つの博物館があり、全体が世界遺産に登録されています。
プロイセン王フリードリヒ・ウィルヘルム2世および3世により、1830〜1930年の間に造られたものです。
第二次大戦で大きな被害を受け、占領したソ連軍によって250万点もの所蔵品がソ連に流出、1958年にソ連は略奪品の大半を返還しましたが、まだ一部が未返還で残っています。
東ドイツ側にあったため、復興はほとんど進みませんでしたが、ドイツ統一後に修復が進み、現在はすべての博物館が再開しています。
- 旧博物館 (Altes Museum)【世界遺産】
- 1830年開館のギリシャ風の柱を持つ博物館で、博物館島最古です。
古代の壷や彫像などを展示しています。
- 新博物館 (Neues Museum)【世界遺産】
- 1859年の開館ですが、全壊のために2009年10月にようやく復元が終了、70年ぶりの再開を果たしています。
エジプト美術や先史時代の遺物を展示しています。
- 旧国立美術館 (Alte Nationalgalerie)【世界遺産】
- 1876年の開館で、ルノワールやモネ、セザンヌナドの他、ドイツ・ロマン派の絵画や彫刻を収蔵します。
- ペルガモン博物館 (Pergamon Museum)【世界遺産】
- 1930年開館の最も新しい博物館で、古代ローマや中近東美術を中心に展示しています。
トルコのペルガモン遺跡の「大祭壇」を移築したのが館名の由来で、他にバビロンの「イシュタル門」やミレトスの「市場門」などの見所があります。
- ボーデ博物館 (Bode Museum)【世界遺産】
- 1904年の開館で、ビザンチン美術や彫刻美術を展示します。改修工事は2006年10月に完成しています。
博物館島周辺
- ベルリン大聖堂 (Berliner Dom)
- ウンター・デン・リンデンから博物館島に入る入口に建つ大聖堂です。
13世紀の教会を、フリードリヒ2世が1747年にバロック様式で建て直し、19世紀の大改修を経て1905年に現在の堂々とした宮殿のような建物になりました。
第二次大戦の爆撃で被害を受け、1975年から修復が行われて完成したのは1993年です。
内部にはプロイセン王家だったホーエンツォレルン家の納骨堂があります。
- ベルリン市庁舎 (Berliner Rathaus)
- 博物館島の東にあるレンガ造りの市庁舎です。
1864年に建てられたもので、建物の色と、社会主義のシンボルカラーから「赤の市庁舎」と呼ばれました。
統一後、ベルリン市長はここで執務を行っています。
- テレビ塔 (Fernsehturm)
- ベルリン市庁舎の北に建つ高さ365mの塔です。
1969年の東ドイツ時代に「社会主義の象徴」として造られたもので、統一後に設備の改修が行われて引き続き展望タワーとして賑わっています。
球体状の展望台は高さ200mの位置にあり、高速エレベーターで登れます。
- 聖マリエン教会 (St.Marienkirche)
- テレビ塔のそばにある教会です。13世紀創建といわれる市内最古の教会の一つです。
戦前まではステンドグラスがありましたが、戦後はガラスになってしまいました。
内部にある1484年の全長22mのフレスコ画「死の舞踏」が有名です。
また森鴎外の小説「舞姫」で、主人公とヒロインの出会いの場とされています。
クーダム周辺
- クアフュルステンダム (Kurfürstendamm) / クーダム (Ku'damm)
- ブランデンブルク門の西南西約2.5kmから続くベルリン随一のショッピング・エリアです。
約3.5kmの長さがあり、並木道沿いにブランド店が建ち並び、カフェやレストランも集まっています。
「選帝侯 (Kurfürst)」の「車道 (Damm)」の意で、短縮した通称が「クーダム」です。
- カイザー・ヴィルヘルム記念教会 (Kaiser-Wilhelm-Gedächtnis-Kirche)
- クーダムの東の端付近にあるネオ・ロマネスク様式の教会です。
ドイツ統一を達成したヴィルヘルム1世を記念して1895年に建てられたものですが、1943年の爆撃で一部が破壊されました。
戦後、戦争の悲惨さを伝えるため、修復されずそのままの姿で残されました。
1963年にはこの隣に新しい教会が建てられています。
- シャルロッテンブルク宮殿 (Schloss Charlottenburg)
- カイザー・ヴィルヘルム記念教会の北西3kmにあるバロック様式の宮殿です。
1695年から選帝侯当時のフリードリヒ1世が王妃のゾフィー・シャルロッテの夏の離宮として建造したものです。
最終的には1790年まで建造にかかったためにさまざまな様式が混在しています。
1943年の空襲で破壊されましたが、戦後に修復されています。宮殿内部の「陶器の間」や、敷地内にある陶器博物館となっている建物「ベルベデーレ (Belvedere)」、フリードリッヒ3世の離宮「シンケル・パビリオン (Schinkel-Pavillion)」などの見所があります。
- エジプト博物館 (Ägyptisches Museum)
- シャルロッテンブルク宮殿の南向かいにある博物館です。
フリードリヒ3世の古代エジプト美術品のコレクションを中心に収集したもので、紀元前14世紀の「ネフェルティティ王妃の胸像」や「カブラシャ神殿の門」など重要な遺物が多くあります。
第二次大戦中に博物館島にあったものを連合軍がここに疎開させたという経緯があります。
ポツダム
ポツダム (Potsdam) は、ベルリンの南西30kmにある人口13万人ほどの町です。市内に多くの湖があり、それらをつなぐ川が流れています。
中世から都市として形成され、プロイセン王国時代は宮殿が置かれる中核都市でした。
第二次大戦終盤の1945年7〜8月に、ドイツの戦後処理と日本の全面降伏要求のための米、英、ソ連による会談が行われた地として有名です。
- サンスーシー宮殿 (Schloss Sanssouci)【世界遺産】
- ポツダム市街の西、290haの広大な「サンスーシー公園 (Park Sanssouci)」の北東部にあるロココ様式の宮殿です。
1747年にフリードリヒ2世が夏の離宮としてわずか2年で建造したもので、1階建て12部屋という比較的小さな宮殿です。ガイドツアーで見学ができます。
広大な公園内は、宮殿の南西に円形の建物の「中国茶館 (Chinesishes Teehaus)」、南には「シャルロッテンホフ宮殿 (Schloss Charlottenhof)」、東のはずれに1769年の大きな「新宮殿 (Neues Palais)」などのスポットが点在します。
なお「サンスーシー」はフランス語で「憂いのない」という意味です。
- ツェツィリエンホフ宮殿 (Schloss Cecilienhof)【世界遺産】
- ポツダム市街の北3km、森の中にあるイギリスの別荘風の小さな宮殿です。
ドイツ最後の皇帝ヴィルヘルム2世の皇太子が1923〜1945年に住み、第二次大戦のポツダム会議が行われたところです。
トルーマン(米)、チャーチル(英)、スターリン(ソ連) の3首脳が会談をした部屋が当時のまま残されています。
現在はホテル兼レストランになっています。
ドイツの観光地