アフリカ南部旅行のいろいろ情報
アフリカ南部の料理
特徴
アフリカ南部も国によって、料理の特徴があります。
南アフリカは、中世からヨーロッパとアジアをつなぐ貿易ルートの中継点であった関係上、地元アフリカの料理と言うよりも、両者の料理が混合したワールドワイドな色彩の料理が発達しました。
ポルトガル、オランダに、インド、またケープタウン周辺では、「ケープ・マレー料理」と呼ばれる、マレーシアやインドネシアなどの影響の強い料理が発祥しています。
ナミビアでは旧宗主国のドイツ料理も入っています。
現地オリジナルの料理としては、全体的に高原の内陸部が多いため、トウモロコシを中心とした穀類や豆類に、畜産業による牛肉や羊肉などの肉類が食材の中心になります。
肉と野菜を煮込んだシチューのような料理が多いです。
アフリカ南部の名物料理
- ボボティー (Bobotie) = 南アフリカ料理で、ケープ・マレー料理の一つです。
カレー味のミートローフのような料理で、スパイシーな味付けが特徴です。
- ブルボス (Boerewors) = 南アフリカ名物の香辛料をきかせた長いソーセージで、渦巻き状に巻いて供されるのが特徴です。200年前にオランダ移民が持ち込んだものです。
- ポイキーコース (Potjiekos) = 南アフリカの伝統的シチューです。3本足の独特な鉄鍋で肉や野菜を少ない水で煮込んだものです。
- ブラーイ (Braai) = 南アフリカのバーベキューです。肉や野菜、パンも焼くことがあります。
- サザ、ボホベ (Sadza, Bogobe) = この地域の伝統的な主食で、トウモロコシの粉を湯でといて練ったものです。ケニアなどで「ウガリ」と呼ばれています。
ジンバブエでサザ、ボツワナでボホベと呼ばれます。
- セスワ (Seswaa) = ボツワナの伝統料理で、肉をシンプルに長時間煮込み、その後で肉をたたいてほぐしたものです。
アフリカ南部の酒
南アフリカでは、もともとヨーロッパから入ってきたワインやビールなど、旅行客の目に触れるところでは一般的な酒が飲めます。
ケープタウンの近郊は良質のワインも産出しています。
アフリカ南部に点在する各部族は、それぞれが自家製で酒を造って飲んでいるようで、種類も雑多、一般の旅行ではなかなか飲めるものではありません。
アフリカ南部・旅の雑学
- ヨハネスブルグの治安
- 2010年のサッカーワールドカップ・南アフリカ大会の開催で、以前よりは治安は改善されたといいますが、それでもヨハネスブルグは相当に危ない町です。
個々の手口も凶悪で、必ずナイフなどの凶器を持ち、数人で取り囲んで強引に金品を強奪し、その際に命の保証はまるでないということです。
要するに、遭遇したら生きて帰れない確率がかなり高いという状況です。
不案内の場所は絶対に行かない、そうでない場所でもふらふら歩かない、タクシーも信頼のできるものをホテルに呼んでもらうなど、注意が必要です。
- ジャカランダ
- 熱帯地方の春に花をつける木で、紫色の5枚の花弁をもち、桐の花に似ていて「桐もどき」ともいいます。ハワイでは日系人が日本の桜を偲んで「ハワイ桜」や「紫の桜」と呼んでいます。
南アフリカでは、まさに日本の桜のように、10月初旬から木全体を覆い尽くすように花が咲き始め、約1ヶ月満開状態で咲き続けるといわれます。
- アフリカーナー
- ポルトガルのバルトロメウ(バーソロミュー)・ディアスが15世紀に喜望峰を発見後、最初に南アフリカに入植したのがオランダ人です。その後イギリスが進出してから、両者の対立の歴史が続きました。
入植したオランダ人の子孫(白人)は、自らはもともと南アフリカにいた民族という意識で「アフリカーナー」と呼び、別名で「ボーア人」と呼ばれたこともあります。
彼らのオランダ語を源流とする言葉は「アフリカーンス」と呼ばれます。長い間には、ドイツ人やイタリア人などの血も交じってきています。
しかし植民地の支配者の立場で、原住民族を含め労力は奴隷の活用でまかない、このことが「アパルトヘイト」につながりました。
アフリカーナーは現在南アフリカの人口の14%を占めます。
- ボツワナは経済優等生
- 人口も少なく、アフリカ内陸の小国のボツワナですが、経済面ではアフリカの中でも優等生です。
1967年にタイヤモンド鉱脈が発見され、産出量、産出額とも世界トップクラス、また畜産業では牛肉も輸出しています。
インフラ整備や教育の向上なども堅実に行われていて、2001年にはアメリカの格付け会社がボツワナを高格付けし、日本より上になったこともあります。
- ジンバブエの通貨
- ジンバブエは独自通貨として「ジンバブエ・ドル」というのがありましたが、2015年に廃止され、自国の通貨のない国になってしまいました。
「ジンバブエ・ドル」は、1980年の国の独立時に導入され、当時はアメリカ・ドルよりも高いレートでスタートしました。
しかし、2000年代に入ってからの経済運営の失敗から、何度もデノミで桁を切り上げたにもかかわらず、破滅的な通貨の信用下落で、世界主要通貨に対する価値は億、兆、京の単位を通り越した値を積み上げても届かないという、ほとんど無価値に近い状況となってしまいました。
そのため、自国の通貨発行は2009年以来されず、2015年に正式に廃止されました。
現地では、南アフリカのランド、ボツワナのブラと、アメリカのドル、ユーロ、イギリスのポンドが実用通貨として国内流通しています。
2014年には、これらに中国人民元、インド・ルピー、オーストラリア・ドル、そして日本円が加えられました。
この国では、旅行で日本の通貨がそのまま使えるのです。
ただ、主に使われているのは南アフリカ・ランドとアメリカ・ドルで、日本円がそのまま店などで受け取ってもらえるかはわからないということです。
ただ現地ではボロボロの札が流通しているので、日本の新札を出せば喜んで受け取ってもらえるのでは、という期待もあるようです。
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