ワルシャワとクラクフ(ポーランドの観光地 1)
ワルシャワ (Warszawa) は、ポーランド中部の東寄りにある人口170万人ほどポーランドの首都です。
(英語では Warsaw と綴り、「ワルソー」のように発音します。)
13世紀頃には小さな村だったという記録が最初ですが、1596年に古都クラクフから遷都され、1611年から正式な首都となって発展しました。
第二次大戦で町は破壊され、戦後は共産主義的な街づくりがなされましたが、旧市街については当時の町並みを再現しています。
クラクフ (Krakow) は、ワルシャワの南250km、ポーランド南部のヴィスワ川沿いの人口75万人ほどの町です。「クラコフ」という表記もされます。
8世紀頃には町があったといわれ、11世紀から16世紀末のワルシャワへの遷都までポーランド王国の都だった古都です。
第二次大戦の戦禍を免れて、歴史的な建造物がそのまま町に残されており、歴史地区が世界遺産となっています。
近郊のアウシュビッツなどを含めて、ポーランド観光の中心地となっています。
ワルシャワ
- 旧市街 (Stare Miasto)【世界遺産】
- 市の中心部、市内を流れるヴィスワ川 (Wisla) の西岸にある直径500mほどのほぼ円形の市街地です。
シンボルの「人魚像 (Pomnik Syreny)」がある「旧市街広場 (Rynek Starego Miasta)」を中心に、16世紀にクラクフから遷都された時に建設された「旧王宮 (Zamek Krolewski)」、市最古の14世紀創建の「聖ヤン大聖堂 (Bazylika Archikatedralna Sw. Jana Chrzciciela)」など、当時の建物が建ち並んでいます。
第二次大戦でドイツ軍によって破壊されましたが、戦後市民の手によって細部に至るまで再現したものです。
- バルバカン (Barbakan)【世界遺産】
- 旧市街の西側を丸く囲むように造られた赤レンガの城壁です。
16世紀に造られ、当時は旧市街全体を囲んでいましたが、第二次大戦で破壊されたものを戦後に一部復元したもので、約300mほどの長さがあります。
- キュリー夫人博物館 (Muzeum Marii Sklodowskiej-Curie)【世界遺産】
- 旧市街の北にある博物館で、19世紀末から20世紀初めにかけて夫とともに放射性物質を研究し、2度のノーベル賞を受賞した物理学者・化学者のキュリー夫人の生家です。
内部は博物館になっており、家具調度の他に彼女の使っていた実験器具や研究資料などが展示されています。
- ツィタデラ (Cytadela)
- 旧市街の北1km、1834年にロシアのニコライ1世が、独立のため蜂起した市民勢力を抑えこむために建造した監獄要塞です。
当時は550門もの大砲を備えていたといわれ、政治犯用の監獄が博物館として公開されています。
- ワルシャワ蜂起記念碑 (Pomnik Powstania Warszawskiego)
- 旧市街西の「クラシンスキ広場 (Plac Krasinskich)」にある、ドイツ占領に対して蜂起した市民を記念して1988年に建てられたものです。
ナチス・ドイツが侵攻して5年を経過した1944年に、進攻してきたソ連軍の後ろ盾を支えに多くの市民が蜂起しましたが、ドイツ軍の火炎放射器作戦で町は破壊され、ソ連軍も援軍を送らず、63日間の戦闘後に市民はこの地で降伏したという歴史があります。
- ゲットー英雄記念碑 (Pomnik Bohaterow Getta)
- 旧市街の西1kmにある記念碑です。
元来ユダヤ人が多く住んでいた地区でしたが、1939年のナチス・ドイツ侵攻後はユダヤ人居住区(ゲットー)としてユダヤ人をこの地に強制的に移住させ、ここから各地の強制収容所へ送られて虐殺されました。
記念碑はそのユダヤ人たちの霊を弔うものです。
- 聖十字架教会 (Kosciol Sw.Krzyza)
- 旧市街の南1kmにある教会です。16世紀に小さな木造の教会として建てられ、後に現在のような建物になりました。
作曲家ショパンが1849年にパリで死去後に、望郷の思いで残した遺言によって彼の心臓がここに埋葬されていることで有名です。
第二次大戦でドイツ軍に破壊されて心臓も持ち去られましたが、戦後再建されて心臓はショパンの命日に戻されました。
教会のそばには、ポーランド出身の科学者「コペルニクス像 (Pomnik M. Kopernik)」があります。
- ショパン博物館 (Muzeum Fryderyka Chopina)
- 聖十字架教会の南東にある博物館です。
建物は17世紀に建造されたバロック様式の「オストロフスキ宮殿 (Zamek Ostrogskich)」で、ワルシャワ・ショパン協会の本部が置かれて運営・管理を行っています。
1〜2階が博物館で、ショパンが使用したピアノや肖像画、自筆の楽譜や手紙などが展示されています。3階はコンサート・ホールになっています
- 文化科学宮殿 (Palac Kultury i Nauki)
- 旧市街の南2km、市の中心部にある高さ234m、37階建ての高層ビルです。
1952年にソ連のスターリンが建設、寄贈したもので、30階が展望台になっています。
研究所やコンサートホール、レストランなどが入っていますが、旧共産主義の権威の象徴で市民の評判は悪いということです。
- ワジェンキ公園 (Park Lazienkowski)【世界遺産】
- 市街中心部の南、旧市街から南南東5kmにある広大な公園です。18世紀の末に造営され、ヨーロッパでも屈指の美しい公園として知られています。
園内には王室の離宮で博物館になっている「ワジェンキ宮殿」や「ショパンの像」などがあります。
夏の休日にはショパン・コンサートが開かれます。
- ヴィラヌフ宮殿 (Palac Wilanowski)【世界遺産】
- ワジェンキ公園の南南東8kmにあるバロック様式の宮殿です。
17世紀末から18世紀にかけて建造された、当時の国王ヤン3世の夏の離宮です。第二次大戦後は国立博物館の一部となっています。
フランス・イタリア式の美しいバロック庭園もあります。
- ショパン生家 (Dom Urodzenia Fryderyka Chopina)
- ワルシャワの西50kmにある村ジェラゾバ・ボーラ (Zelazowa Wola) にある、ショパンが1810年に生まれた家です。
ひっそりとした公園の敷地内にあり、内部は博物館となっています。
クラクフ
- 旧市街 (Stare Miasto)【世界遺産】
- 市内の中心部、ヴィスワ川の北岸にある東西0.8km、南北1.5kmほどの地域です。
かつての都の中心地で、当時のままの建造物が多く集まっており、市街の周囲は緑地帯が囲んでいます。
- 中央市場広場 (Rynek Glowny)【世界遺産】
- 旧市街の中心にある広場です。約200m四方のほぼ正方形をしており、13世紀に造られた当時は世界最大の広場でした。
敷地の中央に「織物会館」の大きな建物が建ち、広場の四方は歴史的な建造物が取り囲んでいます。
いつも観光客で賑わい、露店も出ています。
- 織物会館 (Sukiennice)【世界遺産】
- 中央市場広場の中央にある14世紀建造のルネサンス様式の建物です。幅100m、奥行き50mもある大きな建物で、広場のかなりの部分を占めています。
かつて衣服や生地の取引が行われたところで、現在は美術館や観光案内所、土産物店などが入っています。
- 旧市庁舎塔 (Wiesa Ratuszowa)【世界遺産】
- 織物会館の南西側に建つ高さ約70mの時計塔です。
かつて13世紀末に建てられた市庁舎に付属した塔でしたが、1820年に市庁舎の取り壊しの時にこの塔だけが残されました。
内部は博物館となっており、頂上に登ることもできます。
- 聖マリア教会 (Kosciol Mariacki)【世界遺産】
- 中央市場広場の東側に建つ教会です。
13世紀の創建で、ポーランドで最も重要な聖遺物とされる「黒聖母」の複製や、15世紀に造られたゴシック様式の祭壇などの見所があります。
昔、塔の上でモンゴル軍の来襲をラッパ吹きがラッパを吹いて知らせましたが、途中でモンゴル兵士にのどを矢で貫かれて殺されたという故事から、1時間ごとに塔の上からラッパが吹かれます。(メロディも故事にならって途中までです。)
- ヤギェウォ大学 (Uniwersytet Jagiellonski)【世界遺産】
- 中央市場広場の北東0.3kmにある、1364年創設のヨーロッパ有数の伝統を誇る大学です。
古くは天文学者コペルニクスを輩出し、前ローマ法王のヨハネ・パウロ2世も学んでいます。現在も3万数千人が学ぶポーランド屈指の大学となっています。
- チャルトリスキ美術館 (Muzeum Czartoryskich)【世界遺産】
- 中央市場広場の北0.3kmにある、1801年開館のポーランド最古の美術館です。
14〜18世紀のポーランドをはじめとするヨーロッパ絵画を収蔵しています。
特にレオナルド・ダ・ビンチの傑作「白テンを抱く貴婦人」が必見です。
- ヴァヴェル城 (Wawel)【世界遺産】
- 中央市場広場の南1km、旧市街南端のヴィスワ川河畔にある城で、10世紀頃から城はありましたが、14世紀にポーランドの都になった際に王宮として整備されました。
城内には、16世紀の建造で博物館にもなっている「旧王宮」、14世紀創建で歴代王の戴冠式がおこなわれた「大聖堂」などがあり、10世紀頃の城遺跡も残っています。
- カジミエジュ地区 (Kazimierz)
- ヴァヴェル城の南東の一帯で、かつてのユダヤ人居住区です。
15世紀頃からユダヤ人が住んでいましたが、第二次大戦中のナチス・ドイツ占領下で7万人のユダヤ人がここに強制移住させられ、最終的には強制収容所へ送られました。
戦後はスラム化していましたが、1980年代から再開発され、映画「シンドラーのリスト」の舞台となり、観光地となっています。
国内最古のユダヤ教会「スタラ・シナゴーグ (Stara Synagoga)」をはじめ、いくつものシナゴーグが残っています。
クラクフ近郊
- ヴィエリチカ岩塩坑 (Kopalnia Soli Wieliczka)【世界遺産】
- クラクフの南東10kmの町ヴィエリチカにある、地底の岩塩採掘坑です。13世紀頃から採掘が始まり、1950年頃まで操業していました。
坑道は9層、深さは300mまであり、坑道延長は250kmに及びます。
第3層の深さ135m付近までが見学コースとして設定され、地下100mに造られた礼拝堂なども見ることができます。
なお見学時間は2時間程度かかり、内部は肌寒いくらいの気温だということです。
- アウシュビッツ強制収容所跡 (Auschwitz)【世界遺産】
- クラクフの西50kmの町オシフィエンチム (Oswiecim) にあるナチス・ドイツの強制収容所跡です。1941年に造られ、1945年までに100万人以上のユダヤ人が虐殺されたといわれます。
現在は国立の博物館となっており、人類の「負の遺産」として世界遺産になっています。
囚人たちの遺物や毒ガスの結晶、ガス室、死体焼却炉などが残されています。
なお「アウシュビッツ」はこの地のドイツ語地名で、正式名称は「国立オシフィエンチム博物館」です。
また2007年には、ビルケナウ強制収容所も含めて世界遺産の登録名称が「アウシュビッツ・ビルケナウ−ナチスドイツ強制・絶滅収容所」に変更されました。
2006年5月、ドイツ出身のローマ法王ベネディクト16世が本人の強い希望で訪れ、犠牲者への祈りを捧げています。
- ビルケナウ強制収容所跡 (Birkenau)【世界遺産】
- アウシュビッツ収容所の北西3kmにある、ナチス・ドイツの第二収容所跡です。
1942年に造られ、1945年のソ連軍による開放時には10万人が収容されていたといわれます。ガス室や死体焼却炉などが残されています。
ポーランドの観光地